東 雑記帳 - 脱脂粉乳、まずさの秘密

東 雑記帳 - 脱脂粉乳、まずさの秘密

5歳の頃からか、それより前からか、祖母が豆腐屋を始めた。
朝、起きると、井戸の横の洗面台で顔を洗い、歯を磨く。冬は、祖父か祖母か、母かわからないが、お湯をわかしてくれたのだろう、井戸水にお湯を入れてくれた。ぬくいお湯で顔を洗う。

洗面台の後ろでは、大きな鍋に湯気が立ち、鍋の中には大豆を煮て絞ったあとのカスの汁があった。豆乳だった。
熱々の豆乳をぼくと姉は飲んだものだが、それはとても甘かったように覚えている。砂糖を入れてくれていたと思うが、どうだったのか。今も毎朝、無調整の豆乳を飲んでいるが、砂糖などの甘味料を添加しなくても甘い。

牛乳を初めて飲んだのは小学校の一年か二年の春だった。瓶入りで、瓶の口の周りに脂肪がべっとり付いていた。腐っていないだろかと、心配したのは先生だったか、大人だっただろうか。それとも、周りからいろいろなことを教えられていて、自分でそう思ったのか。べっとり付いた脂肪は、ヨーグルトになりかけていたのではなかったか。
当時、学校に給食はなく、希望者のみ月極でお金を払って飲んだように覚えている。自分が飲み続けたかどうか、記憶はあやふやでよくわからない。

小学二年の十一月に下関に引っ越したら、そこの小学校には給食があった。パン食で、必ず脱脂粉乳がついていた。よく知られていることだが、この脱脂粉乳なるものは評判が悪かった。こんなん飲めないという生徒がかなりの数がおり、好きよりも嫌いのほうが多かったのではなかっただろうか。
脱脂粉乳は、食品衛生法に基づき、「牛乳から乳脂肪分を取り除いたものから、すべての水分を取り除いたもの」。
ぼくは割合に好きだったが、周りの空気を察して「好き」とは言わなかったし、お代わりもしなかった。大好きといって、アルマイトの器にお代わりする子もいたが、そういう子を軽蔑する雰囲気があった。

小学の高学年になった頃には、大手乳業メーカーがスキムミルクを販売するようになっていた。スキムミルクと脱脂粉乳は同じものだが、香りも味も違う。特に香りが違い、子供たちは脱脂粉乳のあの匂いを嫌ったのではないだろうか。

大きくなってから戦後史の本を読み、脱脂粉乳はアメリカが食糧不足の支援の一環として日本政府にアメリカが送ってきていたものだと知った。在米の日本人・日系人が奔走して調達し、送ってきたのが始まりだった。
小学生だった当時、そんな話を聞いた覚えはまったくない。アメリカから送られたことは聞いていたのか。昭和三十一年にもなると、すでに食糧は不足していなかったからなのか。
加えて、その脱脂粉乳に大豆の絞りカスを混ぜたものを学校給食で子供たちに飲ませたということを知った。トウモロコシの絞りカスを混ぜたという情報もあるようだ。

ようやく腑に落ちた。子供たちが脱脂粉乳はまずいと嫌ったのは、大豆の絞りカスの匂いだったと思い至った。
そして、ぼくがわりと好きだった理由は、祖母の豆乳をいつも飲んでいて、その匂いに慣れていたからだった。ぼく個人の勝手な解釈であるが……。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。